2013年3月 vol.137

2013年03月10日

 この冬は異常ともいえる大寒波が日本列島を直撃し、各地で雪による痛ましい事故が報告されて参りました。その寒さも、ここにきてようやく峠を越え、春の兆しを感じるようになりましたが皆様はいかがお過ごしでしょうか。


 このコラムが皆様のお手元に届くころには、東日本大震災から二回目の3月11日を迎えることになります。あの日は雪がちらつくような寒い日でした。度重なる余震と、鳴り響く警報やサイレン音。ガソリンや食料を求めて長い列を作った経験は、徐々に遠い記憶となりつつあります。同時に世間では、すっかり震災に関する話題も少なくなってしまいました。あの日何が起きたのか、その記憶を風化させぬようにしなければなりませんが、被災地間においても被災程度や復興のスピード感により、相当の温度差があります。マスコミはここぞとばかりに、被災地の陰の部分だけを映そうとします。ただ、あの3.11を境に安全やエネルギー問題、危機管理、または街づくり、そして人間関係等、当たり前の日常に対する価値観を根本から考え直す機会となったことは間違いありません。この教訓を生かし、建設的にどのような復興シナリオを描いていくかが大切です。そして、防災や減災について全国的にその意識が高まることを願います。
 

 津波により大きな被害を受けた仙台空港には、津波の到達地点が記されています。すぐに連想するのは、万一の場合は、このラインより上に逃げれば助かるという単純な発想です。現在、被災地には県外から多くの方々が集まっています。当初は建物に残る凄惨なまでの津波の爪痕を目の当たりにすることができ、外部から来た方々も瞬時に津波の到達地点を知ることができました。しかし、解体やガレキ処理が進む中、津波の到達地点が確認できなくなくなりつつあります。
 

それどころか、ガレキ処理が進み整然とした街並みを見ると、暗黒の津波が押し寄せた光景を想像するには程遠く拍子抜けしてしまうほどです。そこには、ただ、ただ悲壮感だけが漂っているかのようです。
 

 賛否は様々あるようですが、津波の到達位置を表示すると、「震災の恐怖を連想させる」、「不動産の価値が下がる」等の意見もあるようです。そのためか、復興が進んだ街には意外にも津波到達地点の目安となるものが見当たりません。地元の方ですら、住むエリアが違えば混乱するはずです。地域によっては、流された船をそのまま保存するとか、被災した建物や奇跡的に残った樹木を保存する等の動きもあるようですが、もっと合理的な方法で視覚に残す必要があります。
 

 また、今もなお多くの方々が仮住まいを強いられているわけですが、遅々として進まない復興公営住宅の建設や集団移転等には、法や制度の壁の他、複雑な権利関係や経済格差等、時間の経過とともにより高い障壁が立ちはだかります。それに追い打ちをかけているのが、建設資材や人件費の高騰、更には人手不足です。これは民間工事にも相当な影響を及ぼしています。このまま消費増税となれば、駆け込み需要が加わり工事の遅れや工事費の高騰に拍車をかける結果となり、復興の妨げになることが懸念されます。遅れは、特に高齢者には深刻な問題です。加えて復興の担い手となるはずの若者たちは仕事や安全な地を求め地元を離れていきます。仮に数年後にハード面での復興を遂げたとしても、そこに人々の日常が戻らなければ税金の無駄遣いと言わざるを得ません。
 

 仙台にヒト・モノ・カネが集中しているのは再三申し上げてきた通りですが、これは復興特需による一過性のものだけではないかもしれません。被災地の若者が職や安全を求め都市部に移住してきます。すると、その子供たちを頼りに親世帯までもが故郷を離れてやってきます。いわゆる近居と呼ばれるものです。皮肉にもこうして都市部への一極集中はますます加速すると考えられます。