2025年8月 vol.285

2025年08月08日

 残暑お見舞い申し上げます。

 

 全国各地で記録的暑さが報告されていますが、ご当地宮城も例外ではなく、連日の猛暑と渇水で農作物などへの影響が懸念されます。まだまだ暑い日が続きますので健康管理には十分にご注意下さい。

 

 さて、東北三大夏祭りを締めくくる仙台七夕まつりが8月6日から8日までの3日間の日程で開催されます。例年のこの時期は、ようやく梅雨も明け、立秋を前に短い夏を惜しむかのような雰囲気がありますが、近年の気候変動で今年は夏真っ盛りの中での祭典となりそうです。七夕には雨のジンクスがあり、期間中は雨に祟られることも多いのですが、果たして今年はどうなるでしょうか・・・。(校正を終えた本日6日、初日から雨となりました)

 

 七夕は、もともと古代中国から伝わった行事とされています。年に一度、彦星様と織り姫様が天の川(地上からは肉眼で確認できない幾千億もの小さな星の集合体)で出会うというなんともロマンチックな伝説に由来するもので、奈良時代の日本では既に宮中行事として行われていたとの記録が残っています。豪華絢爛で日本一の規模として知られる仙台七夕まつりは、旧暦の7月7日に行われる行事として今に伝わりますが、仙台藩祖伊達政宗公が七夕にちなんだ和歌を詠んだ記録に遡ると、これが仙台七夕の起源と考えられています。

 

 神を送る行事である青森ねぶたや秋田竿燈を動と表現するならば、静の七夕は田の神を迎える行事として広まり、地元では「七夕さん」の愛称で親しまれ、民衆の五穀豊穣への祈りが込められてきました。江戸時代中期に入ると、七夕は全国各地で年中行事として盛んに行われたと記されていますが、明治に入り新暦が採用された頃から徐々にその風習は廃れたと言われています。衰退しつつあった七夕まつりでしたが、仙台では戦前に地元商工会が中心となって商店街における売り出しの催し物として七夕飾りが推奨されました。その際、各店の飾りつけを評価表彰する仕組みが奏功し、仙台での七夕祭りを大きく発展させたと評されています。祭りの機運は次第に各商店街に波及し高まりを見せますが、その後の第二次世界大戦を境に中止を余儀なくされ、またも不遇の時代に突入します。

 

 戦時下、仙台市内が空襲に見舞われ多くの犠牲者を出したことは今日の街並みからは想像もつきませんが、焼け野原と化した市街地に、いつの日か市民の復興への祈りが込められた竹飾りが掲げられました。希望の御旗となった竹飾りが本格的な七夕まつり復活のきっかけになったことは言うまでもありません。

 

 そして、昭和22年昭和天皇巡幸の際には、沿道に5000本もの大規模な七夕飾りが掲げられ、仙台七夕まつりは見事復活を遂げたのです。今日では、開催期間中200万人もの観光客が訪れる仙台の夏の風物詩として歴史を重ね、多くの人々を魅了し続けています。

 

 このような歴史に翻弄されながらも、仙台商人の心意気により発展を遂げてきた仙台七夕まつりには「七つ飾り」と呼ばれる習わしがあり、それぞれに次のような意味が込められています。短冊(和歌を書いたことから、学問や書の上達を願います)、紙衣(和紙で作られた着物は、病や災いの分身と裁縫の上達を願います)、折鶴(昔は一家の最高齢者の年の数だけ折って延命長寿を願いました)、巾着(富貴と貯蓄、商売繁盛、無駄遣いの無いように口はしっかり閉じられています)、投網(豊漁、幸運を寄せ集めるという意味も込められています)、くずかご(飾りつけの際に出た紙屑などを屑籠へ、清潔や倹約を意味します)、吹き流し(織姫に供えた織り糸を表し織物や技芸の上達を願います)があります。一つ一つに込められた願いや個性を楽しみながら、団扇片手にゆっくりと七夕飾りの吹き流しをかき分けて歩いてみるのもまた風情があり格別なものです。