2025年6月 vol.283

2025年06月10日

 日本列島梅雨前線が覆いはじめ憂鬱な季節に突入しましたが、雨に濡れる新緑を愛でるのも風情があり良いものです。

 

 さて、小泉農水大臣の誕生で米騒動に端を発した報道が益々過熱しています。参院選を前に石破内閣にとって起死回生の人事とも言えそうですが、果たして結果はどうなることでしょうか?少なくとも今回の騒動が契機となり、国民の関心の高まりと世論を味方に我が国の農業政策の転換点となることは間違いなさそうです。

 

 思い返せば、米不足表面化したのは昨年の夏ごろに遡ります。当時から農水省は、米不足は8月の台風と運送の滞りに起因する一過性のものであることを強調、数量自体に問題は無いとの見解を示してきました。ところが、米価の高止まりは解消されず、結局事態は政府が備蓄米を放出するという緊急避難的措置が取られるまでに発展しました。しかし、根本的な原因も解明されぬまま、生産者置き去りの議論には些か疑問が残ります。そして、この状況を傍観する他国は、何を思うでしょうか?今回の騒動により我が国の主食である米さえも自国で賄えない脆さを露呈させたとも言えます。

 

 まずは長年にわたり行われてきた我が国の減反政策について知る必要があります。戦後、アメリカが大量の農産物を輸出する目的で関税の撤廃要求したことに端を発していると聞いたことがありますが、当時、アメリカが我が国小麦を輸出しようとしたのは明白です。因果関係は分かりませんが、その後、我が国の米の消費量は食の欧米化や多様化により、昭和37年をピークに減少の一途を辿ってきました。

 

 減反に協力した農家には補助金が支給されたため、収益性に乏しい農家にとっては生活の下支えとなってきたのも事実です。減反政策は税金から補助金支出され、米の生産量を調整し米価を安定させ需給バランスの確保に一定の効果をもたらしてきました。今回放出された備蓄米も災害時や不作の際に備えたものとはいえ、大量の税金が投入されているという背景を考えると手放しでは喜べません。更に、この保護主義的な減反政策が市場の競争力を低下させ、農業における技術革新を遅らせたという負の側面も理解しておくべきでしょう

 

 減反自体は平成30年に廃止され、生産者が自由に作付面積を決めることができるようになりましたが、生産者の高齢化や昨今のコメ離れの影響に加え、コロナによる外食産業の需要減などで米の在庫量は増え続け、作付面積は年々減少傾向にありました。政府は食料自給率向上を図る観点から、減反政策に代え水田のフル活用を推奨し、需要のある麦、大豆、米粉用米、飼料用米等への転換を促してきましたが、補助金や米の生産目標の維持など、事実上の減反は今なお続いているというのが現状です。

 

 そして、戦後の食糧難の時代に国民に安定した食料を供給できる仕組みが確立され、農家から米を集荷し農家の経済的安定が約束されました。これを統治したのが農協団体の起源だというわけですが、その旧態依然とした体質を指摘する声もあり、いつの間にか米騒動の矛先が農協へ向けられ関係者にとっては極めて心外なことだと思います。

 

 国の調査によると、年間472万トンものフードロスがあり、うち半数は一般家庭から発生していることが分かっています。諸物価が急激に高騰し国民生活にも悪影響を与えていますが、米価だけが何故これだけ騒ぎになるのか疑問でなりません。もちろん、価格は安いにこしたことはありませんが、流通量さえ充足していれば相場は適正価格に落ち着くはずです。むしろ、フードロスに代表されるように、我々の食に対する意識こそ変えていかなければならない問題だと思います。