2024年2月 vol.267

2024年02月09日

 立春を迎えました。暦の上では春ということになりますが、この時期の仙台は山から吹き下ろす冷たく乾いた風が肌を刺し、一層春の訪れを待ち遠しくさせます。私は、毎年恒例で、友人と共に酉年の守り本尊とされる寺院の節分祭へ参加し、一年間の無病息災を祈願して参りました。

 

 令和6年元旦16時10分、マグニチュード7.6、震源の深さ16km、石川県能登地方を震源とする最大震度7の揺れが平穏なはずの新年を容赦なく襲いました。前震からおよそ4分後、緊急地震速報は遠く宮城の地にも鳴り響きました。死者240名、被災した家屋5万5千棟を数える大災害を引き起こした令和6年能登半島地震です。

 

 夕刻の地震ということもあり情報も限られましたが、夜明けとともに被害の全容が明らかになるにつれ、誰もが神の存在を疑ったに違いありません。あらためて、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。すでに地震発生から1ヶ月を経過しましたが、北陸の雪と寒さは復旧を妨げ、被災者の方々の心身の疲労もいかばかりかと拝察します。被災地では、いまだに1万人以上の方々が避難生活を余儀なくされていると伺っていますが、複数の行方不明者の捜索と一日も早い復旧復興を切に願います。

 

 風光明媚な海岸線の町は地震により隆起が見られ、観光名所であった輪島の朝市周辺は、火災により5万800㎡にわたり200棟以上の店舗や家屋が焼失しました。想定される災害廃棄物の量は240万トンを超えるとみられ、同地域から通常排出される数十年分もの廃棄物の量が被害の甚大さを物語っています。日本を代表する伝統工芸である輪島塗も多くの工房が被災し高齢化も拍車をかけ、専門家からは再開まで2年以上の日数を要するとの見方が示されています。報道こそ少ないですが、比較的被害の少なかった周辺地域でも風評により観光客が激減し経済へのダメージも懸念されます。

 

 震災直後は恐怖体験の共有と少ない情報を求め集団行動の心理が働くと思いますが、避難生活はプライバシーも保たれず、被災状況や経済状況が異なる人々は、時間の経過と心身の疲労やストレスが重なり、付き合いすら窮屈に思えてくることもあるでしょう。半島という地理的特性も伴い、救援活動も難航していることが伺えますが、一方で、金沢出張朝市やテント市が起案され復興に向け着実に前を向いて歩み出したとのニュースもあります。場所も商材も限られる中、正に焼け野原からの復興です。我々はその心意気に寄り添い、心から応援することしかできませんが、阪神淡路大震災や東日本大震災など、未曽有の災害に直面するたび、我が国は力を合わせて乗り越えてきました。今は、自粛よりも経済をまわすことが何よりもの復興のエンジンになるはずです。

 

 あの東日本大震災から間もなく13年を迎えようとしています。3月11日は、地震直後に雪が舞う寒い夜となりました。被災地では停電などインフラの分断で情報は限られました。少ないガソリンを頼りに車のテレビから得られる情報は想像を絶する故郷の惨状でした。しかし、当時の政府や行政の動きも早かったと思います。自衛隊の救助部隊の車両が各地から派遣され、その雄姿をどんなに頼もしく思い励まされたことか。そして、何よりも希望を持てたのは季節が春に向かっていたからでしょう。冷たい風の中にも時折春の気配を感じることができたこと、当時、多くの被災者が世界中から沢山の支援と春風に勇気づけられたことに違いありません。

 

 今回も、東北はもちろんのこと、神戸や熊本など全国各地から能登への支援の輪が広がっています。軽率に頑張ろうなどという励ましの言葉は使えませんが、能登の復興を心より願って止みません。もちろん、当社でも微力ながら支援をさせて頂きました。