2023年3月 vol.256

2023年03月10日

 頬をうつ風が少しだけ心地よく感じる今日この頃です。毎年、この季節の風に触れるたび3.11東日本大震災当時の光景が思い起こされます。震災から12年もの月日が流れ、被災地の多くは復興を遂げつつありますが、一方で仙台圏以外では人口減少などの課題に直面しています。震災の記憶が風化し防災意識が少しずつ薄れていることに時の流れの速さを痛感せずにはいられません。

 

 さて、先日、我が国の昨年の出生数が80万人を割ったことが大きく報道されました。国立社会保障・人口問題研究所の2017年の推計によると、80万人割れは2033年と予測されていましたので、当初の予測よりも11年も早く割り込んだ形となりました。この現状は、当初推計時の最悪シナリオに近い状況にあります。加えて人口減も加速しており、昨年の出生数から死亡者数を差し引いた自然減は78万人を数え、年間に山梨県や佐賀県に匹敵する人口が消滅しているというのですから悲観せずにはいられません。そして、2年先には団塊世代が後期高齢者となる75歳を迎え、少子超高齢化社会が現実の世界となり訪れるのです。

 

 少子化と言われ久しいわけですが、首相は「異次元の少子化対策」なるものを宣言しました。異次元というと、何とも耳あたりの良い言葉ですが、タイトルだけ独り歩きし中身が形骸化しないことを願います。政府は対策の基本方針を今年度中にまとめる考えですが、少子化が叫ばれはじめたのは、遡ること30年ほど前のことです。1990年には出生率が前年の1.66から1.57へ急落し、過去最低値を更新したことから「1.57ショック」と揶揄されました。当時の政権は、「深刻で静かなる危機」としながら、要因と対策を次のようにまとめています。「子育てに伴う負担の増大、女性の社会進出に伴い女性の負担を軽減するため、保育サービスや育児休暇の普及が急務である」と。今もなお議論されていることと何ら変わりはありません。

 

 内閣府による少子化対策の歩みを見てみると、1994年にエンゼルプランなるものが策定され、2003年には少子化社会対策基本法が施行されました。その後も議論が重ねられてきたものの、現在に至るまで抜本的解決には至っておらず事態は深刻さを増すばかりです。少子化の主な原因は、未婚化、晩婚化、有配偶出生率の低下が挙げられます。諸外国の取り組みに学べば、少子化対策の手厚い国ほど回復が早い傾向にあり、その場しのぎの対策ではなく、長期間に継続的かつ総合的な支援が求められるといえます。

 

 経済が豊かになり成熟した国ほど少子化は顕著です。したがって、少子化は多くの先進諸国が直面してきた課題といえます。食生活や暮らしが豊かになり医療が発達するため、幼くして亡くなる子供が少なくなります。言い換えれば、成人するまでに亡くなる子供の確率が高いため、貧困国ほど多くの子供をもうけざるを得ないという生々しい現実があります。我が国の一昔前を想像してみて下さい。一家の生計を立てるために、多くの家族が必要だったのです。

 

 問題は、30年も前から歴代の政権が少子化問題を軽視し先送りしてきたことにあります。国民の尊厳か国家存亡の危機かというデリケートな問題でもありますが、若者が減っていくということは出産適齢期人口の分母が減っているということに直結し、時間の経過とともに難易度は増すばかりです。子育てというと、どうしても女性に負担がかかる印象は否めませんが、世代間の賃金格差も大きな障害となっていることも浮き彫りになっています。もちろん、生活スタイルの変化や幸福に対する価値観の多様化もあります。

 

 人口問題は、まさに国力そのものに比例するといえますし、あらゆる行政サービスの維持や社会保障、経済活動の基盤といえます。前出の原因について、根本にあるのは我が国の将来への不安にあると言い換えることができないでしょうか。単なる予算のバラマキや保育所の増設だけでは到底解決できる問題ではありません。賛否様々な意見もあると思いますが、長期的支援策を講じると同時に明るい未来を想像できる豊かな国づくりが求められるのではないでしょうか。