2021年6月 vol.235

2021年06月10日

 6月に突入しました。当社にとっては第48期目の事業年度の始まりです。前期は新型コロナウィルス感染症による市場の変化にも見舞われましたが、チーム力で乗り切ることが出来ました。今年後半には、ワクチンの普及により経済の回復も期待され不動産市場も更なる変化が予想されますので、乗り遅れぬよう着々と準備を進めて参ります。

 

 さて、東京オリンピックまで50日を切りましたが未だに混乱が続いております。開催延期の判断から1年の準備期間があったにも関わらず、未だコロナの収束を見通せず、人流抑制に依存し過ぎるあまりワクチン接種に出遅れたことが最後まで尾を引いた形となっています。世論の多くが開催反対の状況から一転、ここにきて賛否が拮抗しております。その理由の大半は、半ば諦めというか、混乱回避を支持する意見が賛成に回ったからでしょう。

 

 この間、オリンピックを巡っては、女性蔑視発言など不快な出来事も少なくありませんでしたが、IOCの高圧的な態度ほど不愉快なものはありません。政府が掲げた御旗は、いつの間にか「復興五輪」から「人類がコロナに打ち勝った証」へ、更には「安全安心な大会を実現し希望と勇気を世界中に届ける」とすり替えられる始末です。未だに緊急事態宣言が発令されている最中、スポーツの力だとか感動だとかはどうでも良い話だと思うのですが。大体にして、日常生活さえ制限されるこの有事において誰がオリンピックを歓迎できるというのでしょうか。これこそ我が国の分断の象徴になりかねません。

 

 そして、私が危惧するのは選手への風当たりです。選手には何の罪もありませんが、逆風の中大会が強行されたところで、選手のモチベーションは維持できるのでしょうか?どの競技も練習不足、準備不足によるパフォーマンスの低下は否めません。それどころか、今後、メダル候補やスター選手の出場辞退も予想され、感染による大会期間中の棄権などもあり得るでしょう。その混乱の中でメダリストは真のチャンピオンとして評価されるのかデリケートな問題です。

 

 そもそもオリンピック自体、平和の祭典などという大義を掲げていますが、大会自体は興行であり、我々民衆にとってはお祭りです。そして、選手と地域の交流などがあって一体感が生まれ盛り上がるわけです。コロナ禍で日本中のお祭りやイベントが中止を余儀なくされている中、オリンピックだけ特別扱いされること自体腑に落ちません。果たして、感染症で学級閉鎖が続く中、運動会を強行する学校があるでしょうか。

 

 大会期間中は選手団が1万5千人、大会関係者が8万人、バブル方式により宿泊施設と会場のみの移動に制限する策が講じられるようです。しかし、ほとんどは個々人のモラルに依存するところが大きく、期間中の安全安心など保証されるものではありません。更には、ホテルや交通機関などホスト側の安全をどう担保するというのでしょうか。

 

 あるシンクタンクがオリンピック中止による経済損失を1兆8千億円と試算しています。この額は1回あたりの緊急事態宣言による経済損失よりはるかに少ないと考えます。一方、開催された場合には1兆8千億円程度の経済効果が得られるとされていますが、この程度の経済効果であれば、後にGoToキャンペーンなどでいくらでも挽回できるはずです。仮に強行して感染拡大が深刻化した場合、経済損失はその何倍にもなることは明白であります。

 

 聖火リレーも中途半端、PVも中止、入場制限又は無観客、全てはリスクがあるからこのような判断が下されているわけで、この中途半端な状況で開催する意味が私には見当たりません。残された時間は限られます。関係者の賢明な判断を願うばかりです。