2013年6月 vol.140

2013年06月10日

 欧州の記録的な豪雨が報告されております。皮肉にも我が国では梅雨入りだというのに晴天が続き、各地で水不足を懸念する声が聞かれます。日中の気温とは対照的に朝晩の気温差が激しい毎日です。皆様体調管理には十分にご注意下さい。


 古の都京都。日本各地のみならず、世界中から毎年多くの観光客が訪れます。正にこの地は歴史ある神社や仏閣をはじめ日本文化を色濃く残す街であり、誰もがジャパニーズスタイルを体感できる場所であります。私自身は、京都北山の景色に魅せられ、幾度となく足を運び、これまで季節ごとに様々な表情に出会って参りました。そしてその都度、仕事上数々のインスピレーションを得て参りました。
 

 川端康成氏の小説「古都」の舞台となったのは北山杉の産地として名高い中川地区。物語は生き別れとなった双子の姉妹の数奇な運命を描いたもので、後に主演をつとめた山口百恵さんの最後の映画のロケ地ともなった場所でもあります。このあたりは、室町時代から北山杉の産地として栄えてきた場所です。急峻な山と厳しい自然が良質な木材を育み、中川地区、小野郷地区、高雄地区で生産された磨丸太は地山丸太と呼ばれ、古くから茶室や数寄屋建築の材料として用いられてきました。その長い歴史は茶の湯の文化を下支えしてきたといっても過言では無く、かの千利休はこの地方の杉の伐採権を有していたとも伝えられています。磨丸太は、垂木や桁、床柱等人目につくところの材料として用いられることが多く、杉皮を剥いで磨いた状態をそのまま使用します。そのため、節や傷が出ないよう何度も枝打ちを繰り返し育てます。伐採された丸太は、伝統的技法により砂で磨かれます(現在は機械化が進み砂で磨く風景は少なくなりました)。
 

 特に台杉という仕立て方は、この地方独特の技法であり、「取り木」という台を作り、そこから枝を垂直に何本も伸ばし「立木」を育て半永久的に垂木等の材を生産する方法です。建築材として台杉の歴史は古く、実に600年の長きにわたりその合理的な生産方法が受け継がれて参りました。近年では、その日本情溢れる趣から観賞用として庭のシンボルツリーとして用いられることも多くなってきました。
 中川地区には、こうした樹齢数百年ともいわれる台杉が未だに点在します。京都北山の厳しい自然で育ったそのたくましくも優美な姿を目の前にすると、思わず息をのまずにはいられません。はるか昔に思いを馳せてみると、幾多の名建築物の材を生んできたのか、もしや桂離宮や修学院離宮の材料を生んだものかもしれません。想像はこの辺にして、北山丸太のブームは、戦後、近代数寄屋建築の巨匠らの登場により絶頂期を迎えます。その後、日本の住宅市場はハウスメーカーの台頭などにより、工業化が進んできました。在来工法の木造住宅の現場でさえもプレカット化が進み、木の特性や元と末をわからない職人さんが増えていると聞きました。今では、磨丸太の出番は、床柱くらいのものです。ところが、それらを現場加工できる職人が少ないため、磨丸太をプレカットし、框や落とし掛けと組み合わせ納品する手法が用いられています。何とも味気が無いものです。

 

 京都市内から車で30分ほど、観光とは一線を画す京都の別の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。