2015年9月 vol.167

2015年09月10日

 仙台七夕を過ぎたころからすっかり暑さも和らぎ、いつの間にか秋の気配さえ感じる今日この頃です。


 今年は全国各地で猛暑を記録しましたが、5年後に迫る東京オリンピックの開催も夏です。猛暑を吹き飛ばすような熱戦が繰り広げられることになるのでしょうか。競技場やエンブレム問題など早くも問題が噴出し、開催決定で国全体がひとつになったあの頃とは一転、しらけムードが漂っているようにさえ感じます。そもそも、コンパクトな五輪を打ち出していたはずが、いつの間にかグランドデザインも描かれないままに全ては密室で決められるような始末。結局のところ様々な利権がからみ合い我々国民は翻弄されているだけです。
 

 そんなくだらない話題はさておき、時にスポーツは人々を熱中させるものです。この夏の全国高校野球選手権大会は、正にその代表格と言えるでしょう。高校野球100年の記念すべき大会において、いまだに東北地方に優勝旗が渡らないのはなぜなのでしょうか?答えは誰にも分かりません。優勝したことのないプレッシャーだと言う人もいるようですが、運命の悪戯としか表現のしようがありません。この夏の決勝戦。スコアボードの点差だけでは語れないほど、内容では仙台育英が東海大相模をあと一歩のところまで追い詰めました。奇跡に近い逆転やファインプレイ、8回裏まで甲子園全体が興奮のるつぼと化し、全国のファンが仙台育英に流れが傾いたことを感じていたはずです。9回表先頭打者への初球、カウントを取りにいった甘い球が相手のエースに起死回生の一打を許し、展開はまたしても劣性へとまわりました。結果的にあの一球が全てだったような気がします。またしても、真紅の優勝旗はあと一歩のところで白河の関を越えることはありませんでした。
 

 一昔前まで高校野球は西高東低と言っても過言でないほど、西日本勢がその強さを誇っていました。大会の入場行進を目にするたび東北のチームはどこか頼りなくも見え、組合せ抽選では東北のチームと決まっただけで相手チームから歓声が沸くなど試合前から格下扱いされたものです。試合でも大敗が多く、雪国のハンデと同情を買っていたくらいでした。そんな定説を覆したのは平成元年の仙台育英の準優勝からではないでしょうか。坊主頭が主流の高校野球において、髪を伸ばすスタイルは斬新であり、気負いせずはつらつとプレイするその姿は、これまでの東北イコール田舎という概念を覆すものでした。その仙台育英の快進撃が東北の他チームに与えた影響は計り知れないものがあり、その後、後に続くように東北高校や青森山田高校の準優勝も東北のチームのレベルの高さを証明するものとなりました。チーム編成では、有名校から選手を集めるいわゆる野球留学による連合軍的な時代もありましたが、今や野球関係者や教育現場の努力が実り地元球児のレベルは格段に向上しました。私自身、仙台育英の佐々木監督とも交流がありますが、一言で表現すると非常に魅力的な方です。以前こんなお話を伺ったことがあります。全国各地から野球部に入りたいとの申し込みがくるそうですが、こちらから有名選手をスカウトするようなことは一切しないそうです。そして面接の際には中学時代の実績を判断基準にはしないそうです。日ごろから練習や試合でも選手たちの自主性に委ねるところが多いようで、このあたりが仙台育英のはつらつとした野球スタイルに表れているような気がします。高校野球は打たなければ勝てないと表現されるように、優勝するためには強力な打線と、組合せの運が必要です。更に近年では、投手の二枚看板が必要だと言われるようになりました。暑い夏の大会を勝ち抜くために、できるだけ投手の負担を軽減し投手本来の実力を発揮させるためと考えられているからです。そのためにも選手層の厚さが重要で、それには指導力が欠かせません。
 

 佐々木監督は、試合後、100回大会までの優勝を意欲的に語りました。近い将来、その夢が実現することを祈り、確信してやみません。