2014年10月 vol.156

2014年10月10日

 朝晩もめっきりと涼しくなり、一段と秋の深まりを感じる毎日です。皆様は先だっての皆既月食を観察できましたでしょうか。次回観察できる機会は来年の4月4日だそうです。


 先日、御嶽山の噴火により多くの方々が犠牲となられました。残念なことに、いつの日か今年平成26年を振り返った際には、災害の多かった一年として私たちの記憶に残る事になりそうです。
 

 さて、ここのところ、報道を通し景況感の悪化や消費増税に対する慎重な意見を耳にします。加えて急激な円安が日本経済にとってマイナスとの意見が大半を占めるようになりました。少し前までは、円高が日本経済の足を引っ張っているとマスコミをはじめ経済学者らは声高に円高是正を訴え、円高イコール悪のイメージが支配的でした。ところが、今度は円安が我々の生活に悪影響を及ぼすと言われても、私のような素人にはどちらが正しいのか理解に苦しみます。ひとつ言えることは、経済を予測することは経済のプロでも不可能ということです。ですから、我々はいつの時代においても資産の分散等で自己防衛を図らなければなりません。
 

 経済と言ってもグローバルな話はできませんが、身近な話を2、3しておきたいと思います。最近、仕事で三陸地方を回る機会を何度か与えられました。ご存知の通り、震災復興はまだまだです。土地のかさ上げ工事で、あたりは工事車両ばかりが往来し、一時の観光客やボランティアは激減している感じを受けます。復興を期し仮設店舗や新たな場所で商売を始めても周囲には集客をするだけの商圏が足りません。そして、売れないことに慣れてしまい、いつの間にか商品構成や従業員の態度にまでそれが表れている店舗さえ見受けられます。
 

 現在は復興の過程ではありますが、復興と経済の回復を結び付け過度な期待を寄せること自体に無理があります。高台移転では人々の安全は守れても商圏を分断する恐れもあるでしょう。復興公営住宅等を中心とした市街地の再開発で街が新しくなったとしても、街に何らかの魅力がなければ活気が戻るとは限りません。希望的観測ではなく、このあたりの厳しい現実を十分に理解しなければ本当の復興などあり得ません。震災後、地域のコミュニティという言葉がしきりに取り上げられています。防犯や防災はもちろんのこと、生活するうえで地域とのつながりは重要なことです。特に高齢者や家族を亡くすなどして心の傷が癒えない方々にとっては、地域との関わりが唯一の心のよりどころになっていることは理解できます。しかし、少々厳しい言い方をしますが、集団の心理で、同じような境遇の方々が集まることで居心地のよさをおぼえ、そこから自立できなくなることがあるとしたならば、そのこと自体が最も問題だと思うのです。
 

 都市計画という点では、震災後ジャブジャブと国家予算が投入されました。私は家を売る商売をしていますので、お客様には家を建てる際にコンセプトを決めるようアドバイスをさせて頂いております。ほとんどの方が夢や希望を先行させるあまり、雑誌や展示場で感じた良い点だけを抜粋して家を建てようとします。言い換えれば複数の家の寄せ集めです。結果的にチグハグな家ができてしまいます。遠まわしに言いましたが、行政の街づくりにも一貫性がなければならないと思います。国の予算が付いたからといって、不要な道路を作ったり、需要の無い場所に工業団地を作ったところで、得するのは工事業者と地権者くらいのものです。見当はずれのところにハードだけを充実させても、人々の暮らしが充実しなければ復興とは呼べません。結局、独自性を見いだせず、他の自治体の成功事例に右へならえしただけでは成功などあり得ないのです。公共事業により景気が刺激されたことは紛れもない事実ですが、最初からわかっていながら負の遺産が作り続けられていることに危機感を持たずにはいられません。