2014年9月 vol.155

2014年09月10日

 猛暑から一転、戻り梅雨ともいうのでしょうか長雨が続き急に秋めいてきた今日この頃となりました。


はじめに広島市における土砂災害により犠牲となられた多くの皆様のご冥福をお祈り申し上げます。同時に数多くの被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。私どもが意識しなければならないのは、犠牲者の数でその災害を判断してはならないということです。犠牲者一人一人にご家族と平穏だった日常があり、今はそれぞれの深い悲しみがあるということを考えなければなりません。
 

 この夏はいったい何が起きたというのでしょうか。単に異常気象というだけでは片づけられない事態です。現代は、広島クラスの災害が全国いつどこで起きてもおかしくない状況です。思い返してみるだけでも、東日本大震災以降の3年余りの間にどれだけの自然災害が起きたことでしょうか。全国各地で頻発する地震、関東地方を度々襲う竜巻、京都桂川の氾濫、伊豆大島での土砂災害、特に今年は山口、長野、高知、京都、北海道、そして広島。瞬時にこれだけの災害が浮かんできます。
 

 中には激甚災害として指定されない地域もあり、その制度の矛盾を嘆かずにはいられません。宮城県も復興の最中ではありますが、自治体や企業が広島へ東日本大震災時にお世話になった恩返しの意味も込め支援物資やボランティアを派遣する動きが見られ、この点において日本人の助け合いの精神を見ることができ少し救われたような気がします。欲を言えば、宮城県はこの程度では返しきれないほどの借りがあるわけですから、支援への機運がもっと高まることを願います。という我が社も微力ながら支援をさせて頂きました。
 

 この際、今だから話そう。こう思います。東日本大震災は津波のイメージがあまりにも大き過ぎましたが、内陸部においてゆるゆるの罹災判定を受け被災者となった方も少なくありません。それで不条理にも得をした人が沢山います。宮城県の現状と広島の災害を目の当たりにして、やりきれない思いを抱いているのは私だけではないはずです。未だに応急仮設住宅、みなし仮設住宅で真の生活困窮者や復興公営住宅の完成を待たれる方々、更には高台移転や、建築の順番を待たれる方々等様々おられます。仮に移転先の整備が完了しても、その頃には建築が集中し思ったように家を確保できず、それだけでも何年もの歳月を無駄にしてしまいます。特にご高齢の方にとって時間は切実な問題です。それ以外にも個々の事情でこうした生活を余儀なくされている方々も沢山いらっしゃいます。しかし、いずれにも該当しない世帯がいつまでも賃料を免除されたままとはいかないでしょう。**********************************************************これは、持家、借家を問わず支援の範囲を全てひとくくりにしてしまったことの弊害です。この予算を他の被災地に回したならば、おそらく数十億円位の予算は瞬時に捻出できるはずです。
 

 例えが不適切かもしれませんが、ゴールドラッシュに沸いた1850年代のアメリカはカリフォルニア州。本当に儲かったのは誰か。それは砂金を掘り当てた者達ではなく、街中のバケツとスコップをかき集め彼らに提供した小売商であったり、作業着に代わり生地の厚いジーンズを提供した者が富を築いたのです。震災で本当に利益を得たのは誰か?ズバリ言いましょう。******************************************************************************************************************************************************
 

 東日本大震災後の混乱の中、我が社も民間の住宅を提供しました。あの時、雨風をしのげるだけでも幸運でした。その後、みなし仮設住宅という形で宮城県の借上げ制度へ移行しましたが、こうした物件も復興が進むにつれ解約の場面を迎えています。退去の際、いつの間にか恩も忘れてしまったのか「暗い部屋で我慢を強いられた」などと捨て台詞をはいて出ていく方もいます。本来の順番はこうです。自助、共助、公助。何か勘違いされているようです。対照的に、以前冬場に仮設住宅を訪問した際の話です。「プレハブで寒さも堪えますね」と尋ねたところ、「国が追加で二重サッシにしてくれて大変有難い」との答えが返ってきました。その方は、現在新居をお求めになり新たな生活をスタートさせています。このように感謝の気持ちで住まわれている方々が大半であることを信じたいと思います。