2011年9月 vol.119

2011年09月10日

 厳しい残暑も過ぎ、朝晩の涼しさに秋の気配を感じるようになりました。皆様はいかがお過ごしでしょうか。


 少子高齢化、不況に円高、震災復興等、問題山積の我が国に野田新政権が誕生しましたが、皮肉にもその船出をあざ笑うかのように台風12号が各地に深い爪あとを残して去りました。
 その新政権下、いよいよ東日本大震災復興に向けた増税論も活発化してきました。理想と現実、その狭間で被災地の方々の心は揺れ動いているに違いありません。特に甚大な被害を受けた沿岸部の自治体では復興まで10年という気の遠くなる月日を待たなければなりません。高齢者にとってみれば絶望的な話しです。加えて、町の復興に不可欠な若い世代の流出は復興計画にも大きな影を落とすことになるでしょう。大切な家族や友人を一瞬にして失い、道路もライフラインも絶たれ、働く場所さえも無くなった地域、原発事故で故郷に戻りたくても戻れない方々。そこには、努力や精神論では解決できない現実があり、自力での復興の限界があります。そんな過酷な環境で頑張っている方々が沢山おられます。せめて、日常を取り戻しつつある我々が復興のエンジンとならなくてはなりません。

 

 私は農家の長男として仙台近郊に生まれました。順当にいっていれば、家業の農業を継いでいたのかもしれません。そんな親に敷かれたレールの上を歩むことを拒否し、不動産業界に身を寄せて20年。自慢にもなりませんが、これまで我が家の田畑がどこにあるかも分からないほど農業とは無縁でした。
 

 今回の震災で、我が家の畑にも例外なく津波が襲ってきました。震災当日、農作業をしていた父親は、幸いにもギリギリのタイミングで家に戻り九死に一生を得ました。数日後水が引き、私は行ったことも無い畑へ足を運びました。驚くことに流れ着いた十数台のクルマとゴミの山が畑一面を覆っていたのです。ビニールハウスに作業場、そして農機具も全て壊滅的な状況です。もちろん、周囲の住宅は倒壊や床上浸水で廃墟同然。そして、ヘドロと鼻を突く異臭が事態の深刻さを物語っていました。あの惨状を目の当りにして、もう復興は無理だろうと一瞬頭をよぎりました。なにしろ、農業を再開するには土壌の改良から始めなければならないからです。父親も複数の公職を受け持ち、我が家の復旧は二の次で地域のために奔走しました。これまで米や野菜、食料には不自由しない生活を送っていたのが一転、いつの間にか全て他から調達するというこれまで経験したことの無い生活を余儀なくされていました。
 

 7月のある日、父親が嬉しそうな顔をして茄子を持ち帰ってきました。決して形の良いものではありませんでしたが、聞けば我が家の畑から収穫したものだと言うのです。最近の口癖は、「塩水をかぶったから耕作できないことは無い。皆やらないだけ。やれば作れる」です。父親は、地域の復興に奔走する傍ら、被災した自宅を片付けながらも、愚痴ひとつこぼさず、ボランティアの方や仲間の手を借りながら黙々と農業の復旧に汗を流していたのです。その甲斐あってか、まだまだ元通りとは言えませんが、今では収穫した野菜を販売できるまでに回復させました。
 

 近年では農業を取り巻く環境も厳しさを増しています。父親も被災者です。歳も60代後半、この機会に投げ出すのは簡単なことだったはずです。でも、本人のプライドが復興へと突き動かしたのでしょう。それは、やろうとしたから成し遂げられたことだと思うのです。震災だ不況だと嘆く前にまずはチャレンジすること。そんな生き様を見せられた気がします。
 

 私は、父とは違う道を選び、この不動産業の道を今後も歩んで行くつもりです。残念ながら、農業は父の代で終わることになると思います。しかし、私の丈夫な肉体や精神力は、そんな農民のDNAに由来するものであると強く感じています。そして、あらためて感謝したいと思っています。