2011年4月 vol.114

2011年04月10日

 この度の東日本大震災により被災された関係者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い郷土の復興をお祈り申し上げるとともに、当社としても微力ながら少しでも多くの方々のお力になれればと存じます。


 忘れもしない1ヶ月前の3月11日。宮城県沖を震源としたマグニチュード9.0の巨大地震が一瞬にしてこれまでの平穏な生活を我々の元から奪い去っていきました。33年前の宮城県沖地震を経験し、99%の確率で大地震が予測されていた宮城県だけに、地震に対しての備えや意識は他県より進んでいたはず。それも自然の猛威には無力に過ぎませんでした。地震発生から数十分で大津波の恐怖は、想像以上の破壊力をもって沿岸部の町を容赦なく飲み込んでいきました。この震災で多くの尊い生命が犠牲になったことは言うまでもありませんが、同時に経済と歴史や文化、全ての積み重ねが瞬時にして葬り去られました。
 

 巨大地震の猛威はこれだけにとどまりませんでした。結果としてその爪あとは原発の機能までも麻痺させ、日本国民全体からこれまでの日常と現実を大きく引き離してしまったのです。
 

 仕事柄、色々な被災地に足を運びました。廃墟と化した町を見渡すと、言葉を失います。不用意に「頑張りましょう」など言える状況ではなく、ただ呆然と立ち尽くすことしかできません。1ヶ月前にはこの地に人々の暮らしがあったのだと思うと胸が張り裂けそうになります。海岸沿いで押し潰されたお店や工場、ここで働いていた人々は無事だったのだろうか?基礎だけが残った住宅、そこにはきっと笑顔の絶えない日常があったのだろう。この家の主はこの地に戻ることができるのだろうか?押し潰された無数の車、田んぼに乗り上げた漁船、そして瓦礫の山。ここは戦場か?そしてもうひとつ目を疑うのが同じ行政区内における被災の程度の格差です。沿岸部と山手では天国と地獄。有料道路の橋げたや、線路、堤防等が防波堤の役目を果たしエリアごとの明暗を分けたといっても過言ではありません。これが今後大きな経済格差となり、そのことが軋轢を生み地域間で暴動や混乱が起きないことを祈ります。今は難を逃れ生きている喜びや、全てを失った悲しみとか絶望が先行しています。ところが、被災者はこれから現実と向き合いながら生きていかなければなりません。再起をかけるにはあまりにも障壁が大き過ぎます。
 

 治安の悪化も憂慮すべき事態です。被災地では、自衛隊や警察、消防をはじめボランティアの方々が世界中から終結し、復興のため命がけで作業に当って下さっています。それにもかかわらず、現地では心無い犯罪が横行しています。空店舗や空家を狙う金品目的の窃盗、ガソリン泥棒、強姦等。甚だしいのは、震災直後にどさくさに紛れ死体や放置車両から金品を奪い、非難した店舗からまでも金品を強奪した無法者。被災地へ出向くと意味もなく何かを探すように険しい目をして歩く連中が目立ちます。中には仲間を引き連れ、又は親子で悪さをするやからまで。報道ではあまり取り上げられない一面です。
 

 そんな中、避難所となっているある町の役場で心温まる光景を目にしました。死者・行方不明者を合わせると町の人口の6%以上が犠牲となった宮城県山元町。役場の伝言板には、安否を確認する貼り出しや、行方不明者を探す切実な内容の文書が沢山貼られています。その中に「従業員何人でも募集」、「少ししかありませんが、食べに来て下さい」と力強いメッセージが。日本人ならではの助け合いの精神が残っていることに胸をなでおろしました。