2010年10月 vol.108

2010年10月10日

秋、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。そんな謙虚な気持ちで日々成長を続けたいものです。


 さて、少しずつではありますが、確実に秋の気配を感じる今日この頃です。先日、農家の方にうかがいましたところ、今年の稲の収穫はこの夏の猛暑で例年より殻が厚くなった分、出来はいまひとつとのことでした。肝心のお味の方はいかがなのでしょうか?
 

 先日、日銀が実に4年3ヶ月ぶりのゼロ金利政策に踏み切りました。加えて、5兆円もの基金を集め、国債や社債の買い入れも検討しているそうです。既に導入済みの資金も合わせると実に35兆円、さっぱり素人には見当もつかないような単位です。日銀が「包括緩和」と説明したこれらの奇策も我が国の構造不況にどれだけの効果があるのか疑問視する声も聞かれます。
 

 世の中どこを見渡しても元気がなくなったのは円高や景気のサイクルだけの問題なのでしょうか?確かにここは、正念場です。企業の倒産も最小限で阻止しなければ雇用も維持できません。但し、需要に対し供給側が減らない現実も否定できません。これだけモノが売れないというのですから、冷静に考えれば需要が少ない市場に対し供給側が生き残りをかけ価格競争を繰り広げているうちはデフレから脱出できないのは当然の事です。雇用と消費の循環の中に皮肉な矛盾を抱えているといえるでしょう。正確な数字は把握しておりませんが、バブル経済前後の我が国の法人数は600万社あったと聞いております。それが今では400万社に減り、向こう10年間で半数すなわち200万社程度にまで減少するとの予測もあります。それでも需給関係が比例しないのは、今日の市場が6割経済の入り口部分、淘汰の時代の序章に過ぎないからです。少々荒っぽい言い方ですが、供給側の自然淘汰が進まない限り需給バランスは改善されないのです。だからこそ、死にそうな企業の延命よりも、企業同士のM&Aの円滑化を政策的に急がなければこの先の雇用は維持できません。そしてその間に新たな成長分野が創出されることを期待します。
 

 少しだけ話は移ります。日本より先に成熟期を迎えた他の先進国の例をみると、庶民は実に倹約に努め、貧富の差は拡大し、閉塞感やその欲求でクレームというものを生んでいます。近年の日本と同じような症状を既に経験している国々があります。いつの間にか人々の気持ちには余裕がなくなってしまい、溜まりに溜まった欲求のはけ口が些細なことにクレームをつけたり、狂気的な犯罪に発展したりしてしまいます。例えが不適切かもしれませんが、以前100円ショップが市場を席巻した時代には、彼らは100円の商品価値そのものよりも、ワンストップであらゆるモノがそろうという利便性や手軽さで支持層を増やしていきました。ところが、最近の消費者は支払う100円の対価として過剰なまでに商品価値やサービスを求めるようになりました。ゆえにお店に寄せられる苦情も多岐にわたると聞いております。これではお店とお客様との信頼関係など築けるはずもありません。何事にも許容量が小さくなってしまい、全ては社会や他人のせいにしてしまう。めぐりめぐってそのツケが社会全体をギスギスしたものに変えてしまっているような気がしてなりません。益々人間関係は希薄となり、義理や人情といった日本人的情緒が薄れてゆくのは寂しい限りです。