このコラムは毎月10日マックスホームで発行しているコラムの
一部を抜粋したものです。
気宇壮大
2016/08  vol.178
 残暑お見舞い申し上げます。連日うだるような暑さが続いておりますが、皆様お変わりはありませんか。仙台では、東北の短い夏のフィナーレを飾る仙台七夕祭りが真夏の街を彩りました。毎年の雨のジンクスも今年は晴天に恵まれたかと思われましたが、案の定最終日は雨に見舞われてしまいました。これはご愛嬌ということで・・・。
 仙台七夕は、昔から「たなばたさん」の愛称で多くの市民から親しまれて参りました。その歴史は古く、伊達正宗公の時代に遡るとされております。明治維新などを経て、一時は衰退の一途を辿った七夕も昭和初期には地元商店街の手によって復活を遂げ、今では全国一の規模を誇るまでに成長しました。本来、七夕とは7月7日が一般的ですが、仙台七夕は8月開催です。商工会議所のHPから抜粋すると「翌昭和3年、元来旧暦行事だったのを新暦日付の月遅れ、すなわち民俗学上中暦と呼ばれる8月6日、7日、8日の3日間にわたり、 東北産業博覧会の行事として、さらに仙台七夕を盛んにしようと仙台商工会議所と仙台協賛会との共同開催で「飾りつけコンクール」が催されました」と記されております。
 お祭りと言えば、先日、日本三大祭りの一つ京都祇園祭を観て参りました。今年は観光のメインとされる山鉾巡航の前祭りが三連休に重なったこともあり、大勢の観光客で賑わいました。実は、この祇園祭は八坂神社を中心に7月1日から1ヶ月もの間続くお祭りで、京都の夏には欠かせない風物詩となっています。その華やかでありながらも荘厳な雰囲気は長い歴史に裏打ちされた貫録さえ感じられます。山鉾巡航前夜の宵山には、京の都は祇園ばやしの音色一色となります。一昨年からは山鉾巡行が前祭りと後祭りの二回に分けられ本来の形が復活しました。俗にいう「後の祭り」の語源ともされる通り、後祭りは前祭りに比べ小規模なものとなります。
 祭りのルーツはと言うと、遡ること西暦859年頃、平安建都による人口集中の結果、盆地で高温多湿な土地柄が疫病の流行を招き、朝廷の命により鎮魂の意味を込めて66本の矛を建て災厄の除去を祈ったことに由来するとされております。山鉾には日本神話や中国故事などを題材とした異文化や宗教も取り入れられ、あらゆる神々が集まって祇園の神を讃える形をとっています。後に町衆が山鉾の装飾を競い合い贅が尽くされるようになりました。さて、1ヶ月間の祭りのフィナーレは、疫神社夏越祭です。関係者に続いて一般参拝者が鳥居に取り付けられた茅輪をくぐり護符を受け、茅輪の一部を切り取って護符を結びつけお守りとする儀式です。これが現在の祇園祭の最終公式行事とされています。
 其々の地方には昔から伝わる色々なお祭りがあり、多くの人々によってその伝統が守られてきました。由来は様々でありますが、どこか根底で共通するものを感じます。そこには、神々への崇拝や感謝と祈り、そして経済対策があったものと考えられます。
 余談になりますが、年を追うごとに京都の外国人の数には驚かされます。今から遡ること10年程前、友人らと京都を訪れた際のことです。今では、清水寺や金閣寺をおさえて外国人観光客の人気ナンバーワンスポットとなっている伏見稲荷大社(赤い千本鳥居で有名です)も、当時は外国人どころか日本人観光客さえまばらな状況でした。それが今では一大観光拠点となっており、近年、日本を訪れる外国人観光客が急増している証とも言えます。外国人にとって鳥居はなじみの薄いものです。その鳥居が無数に広がる光景は異文化を感じるに単純明快なわけです。外国人から拡散して全国的な有名観光スポットになるケースは今後も増えることでしょう。もしかして、皆様のお近くもいつの間にか観光スポットになっているかもしれません。
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