このコラムは毎月10日マックスホームで発行しているコラムの
一部を抜粋したものです。
気宇壮大
2016/05  vol.176
 鮮やかな新緑と五月晴れが絶妙なコントラストを演出し、爽やかな季節を彩っています。ゴールデンウィークもまずまずの天候に恵まれ、皆様も思い思いの時間を過ごされたことと拝察致します。

 まずはじめに、この度発生した熊本地震で被災された多くの皆様に心よりお見舞い申し上げます。今もなお10万人以上もの方々が避難生活を余儀なくされ、連日余震が続く中不安な日々を過ごされていることを思うと、東日本大震災を経験した者として人ごとではいられません。
 不確かではありますが、熊本地震の前日位に関東で少し大きな地震があったと記憶しております。夜遅い時間にたまたまつけたテレビに地震速報の文字を確認した瞬間、「また関東の地震か」との先入観は、次の瞬間に一瞬にして覆されました。震源地が熊本と表示されたことへの驚きと震度7という数字にしばらくの間目を疑う他なかったのです。そして、その後も繰り返し続く余震と本震とされる更なる震度7の地震は人々の平穏な生活を一変させるものとなりました。
 東日本大震災の時は、津波により廃墟と化した街が1ヶ月あまりの短期間で急ピッチに撤去作業が進み、インフラが復旧したと記憶しております。その際、日本の危機管理力の高さに感心したものでしたが、同時に現場の最前線で活躍された自衛隊や警察、消防の方々がこれほど頼もしく思えたことはありませんでした。熊本でも前出の方々が今なお懸命の作業を続けられておられますが、収まる気配のない余震に作業は難航し、疲労も蓄積していることと思います。
 私は、震災前の熊本を何度か訪ねたことがありますが、その際、熊本在住のお客様が「台風は大体避けて通るし、地震も少ない。夏の熱さを我慢できればこんな住みよいところはない」と自慢げにおっしゃっておられたのが今も印象に残っております。おそらく、多くの住人の方々がそう感じ愛着を持ってお住まいだったに違いありません。それほど災害の少ない地域での震災だっただけに今回の熊本地震は衝撃が走りました。
 築城400年以上の歴史を誇ると言われる熊本城も今回の地震では甚大な被害を受けました。熊本城は戦国大名加藤清正公がその礎を築いたとされており、様々な仕掛けが随所に施され難攻不落を誇ってきた名城です。これまでも様々な歴史の舞台として時代の移り変わりを見守ってきた熊本城は正に熊本のシンボルと言えます。かの西南戦争時には、天守閣等が焼失したものの優美にして堅固な石垣はそのほとんどが往時の姿を現代に伝えてきました。戦火を逃れた石垣には、当時の戦の激しさを物語るかのように複数の大砲や銃弾の跡が刻まれておりますが、幾多の困難を乗り越えてきた石垣が無残にも崩れ落ちた姿に地震の大きさを窺い知ることができます。 
 現在の天守は1960年に復元された鉄筋コンクリート造の復元建造物だそうですが、熊本市街を見守るかのようにそびえ立つその雄大な姿は天下の名城に相応しく、多くの人々から親しまれてきました。それだけに熊本城の痛々しく変わり果てた光景に地元の人々のショックも大きかったに違いありません。様々な見解があるようですが、あれだけ堅固な石垣が崩落したのは鉄筋コンクリート造の天守の荷重が大きな要因のひとつとされております。一説によれば、熊本城の修復には20年もの期間を要するとの意見もあり、その費用は1000億円規模とも報じられております。まだまだ被害の実態がつかめていない段階での話しですが、観光拠点でもあっただけに地域経済にとってのダメージも計り知れないものがあります。
 まずは、地域住民の方々の生活再建が第一ですが、近い将来、熊本城の修復に向け人々の心が一つとなり復興のシンボルとなることを願うと同時に、一日も早い熊本の復興を心よりお祈り申し上げます。
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