このコラムは毎月10日マックスホームで発行しているコラムの
一部を抜粋したものです。
気宇壮大
2018/02  vol.196
 壁掛け時計の秒針の音で目覚めた朝。朝の凛とした空気感と静けさに、何となく外の天候の想像がつく。決して寒さのせいだけではない。交通量もまばらな感じだが、アスファルトの上に分厚い絨毯でも敷かれているかのように、往来するクルマの雑音を吸収する不思議な感覚である。眠い目をこすりながらカーテンを開けてみると、外は真っ白な雪景色。ふと時計を見上げれば明け方6時過ぎ。コンコンというか、シンシンというのか舞い降りる雪。演出のように街路灯が雪を照らしている。「立春とは名ばかりか」と思わずお決まりのフレーズがこぼれる寒さ厳しい毎日である。
 東北の中でも仙台は雪が少ない方だが、今年はどうも例外のようだ。というよりも、全国的な大寒波が日本列島を雪で覆い尽くしているようだ。この異常なほどの大寒波を歓迎しているのは子供と犬くらいのものだろうか?いいや、怖いもの見たさとでも言うのだろうか、雪とは無縁の国の外国人観光客にとっても雪に触れる体験は貴重のようだ。聞くところによると、最近の観光にも異変が生じているらしい。年々増え続ける外国人観光客だが、2度、3度と訪日を重ねるうちに東京や富士山、京都に北海道などのメジャーなスポットを離れ、その足は次第に地方へと向けられているようだ。そのためか、日本の雪を楽しむために青森を訪れる外国人が急増しているらしい。確かに、東北では北海道の大自然とは少し異なる風情と情緒を感じることができるだろう。そして、東北の人々の純朴で暖かい人柄に触れただけでも、よそ行きの過度な「おもてなし」よりもよほど価値があるかもしれない。
 平昌五輪が開幕する。想像を超える寒さが画面から伝わってくる。そして、東京五輪を2年後に控えた我が国であるが、地価高騰や景気回復という点においては、東京をはじめとする大都市圏と札仙広福と例えられる地方都市にばかり注目が集まりがちだ。が、しかし、地方にも埋もれてしまった魅力が沢山あるはずだ。都会と同じ視点で物事を見てしまうから、田舎だ不便だとなってしまうわけだが、どの街も個性を忘れた金太郎飴である必要はないだろう。
 我が仙台はどうだろうか?商店街もロードサイドも中央資本の寡占化が進むが、自慢できるものはないだろうか?最近、どの地域を訪ねても、仙台から来たというと牛タンの話題になる。「この間食べに行った」「今度食べに行く」「どの店が美味い」といった具合に話題は尽きない。それも、わざわざ遠隔地から飛行機や新幹線を使って訪れる人も珍しくはない。一体、一皿何万円の勘定になるのだろうか?最近の消費者は産地や銘柄にこだわる傾向が強く、その先入観からかブランドで良し悪しを判断しがちだ。当然、供給側もブランド化を模索する。実はモノを食べているのか文字を食べているのか分からない。本当に大事なのは、地域に根差し愛されているかどうかで、付け焼刃的な発想であっては意味が無いということ。仙台で牛タン、博多でもつ鍋、宇都宮で餃子といった具合に象徴的でかつストーリー性は欠かせないのである。そもそも、牛タンがこれだけ全国に発信されるようになったのはここ20年くらいのものではないだろうか。短時間でこれだけのイメージを植え付けるのだからネットの進化とライフスタイルの変化はある意味恐ろしいものだ。もちろん、店主たちの知恵と努力には頭が下がる。
 悪天候の下、仙台駅の牛タン通りは今日も長蛇の列が途切れない。宮城には、松島や蔵王、多くの温泉に三陸の海がある。美味しものを食べて、遊んで、温泉に浸かって。そんな魅力をもっと沢山の方々に知ってもらいたい。
 時計の針を少し進めてみることにしよう。夕方の帰宅ラッシュ、都市部で雪が降ったところで風情も何も感じないが、道路はところどころスケートリンクのような表情を見せる。進まないテールライトの列に苛立ちを覚え、ため息が漏れる。春が待ち遠しい毎日である。
 すみません。少し思考を変えエッセイ風にまとめてみました。次回も宜しくお願い致します。
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